25歳の春~大御所編~
昨日の続きです。
ぐらぐら気持ちがゆれている僕に対して、
小鉄さんは猛烈にアプローチをかけてきます。
愛車のキャデラックで迎えに来てもらって、食事に連れて行ってもらったり、
あるときは新日本プロレスの道場にも連れて行かれました。
そこでは、ヒンズースクワットや腕立てなどの軽いトレーニングも行い、
リングの上では受身の練習や、
頭を下にしてトップロープに足をかけて首を鍛えるトレーニングも行いました。
ちょうどレスラーの皆さんは遠征中で、
道場にはリハビリ中だというレスラーが一人しかいませんでした。
その人と軽いスパーリングまでやりました。
スパーリングといっても僕が四つんばいになってただ亀みたいに防御して
そのレスラーの方が僕を攻めるというものでした。
結構我慢して相手も攻めあぐんでいたようでしたが、
唯一床から浮いていた足首をもたれてひっくり返されてしまいました。
さすがですね。そのレスラーは今ではすっかり有名になった中西学さんでした。
今考えるとすごいことですよね。
さらに小鉄さんは僕に合わせたい人がいると言って、
永田町の議員会館に向かいました。
そうです。
当時スポーツ平和党参議院議員だったアントニオ猪木さんです。
身長はさほど大きく思えませんでしたが、
その大きな上半身と強烈なオーラが非常に大きく感じさせる方でした。
猪木さんも小鉄さん同様、世界にいっても見劣りしない体を持ったレスラーを新日本プロレスは必要としていると、
1時間半ぐらい説得されました。
あの猪木さんに1対1で説得されたんですよ。
そこでは返事はしなかったものの、
僕は完全に舞い上がってしまいました。
さらに小鉄さんはもうデビュー戦の日も決めてあるというのです。
当時毎年恒例だった1月4日の東京ドームで試合をしてもらうつもりだとまで言われたのです。
僕はもう8割方レスラーになろうと心に決め、
親、恩師たちに許しをもらおうと北海道に飛んだのです。
続きは次の更新で。